コラム

とある集落のご紹介

とある集落のご紹介

今日はある集落をご紹介。

長野県白馬村青鬼地区

白馬村の北東端、姫川の支流となる青鬼沢に沿った狭い急坂を車で上っていくと青鬼集落に到着します。

標高750-800mの地点にある集落で、白馬村中心部より50-100m高い位置にあり、冬は雪深くなる場所です。

民家は現在15戸。

縄文時代中期〜後期の遺跡があるとのことで、この時代に早くも、このような標高の高い奥地に人が暮らしていたというのは、感動を覚えます。

暮らしている人にとっては、当たり前の世界なんですが。

文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは平成21年(2000年)。集落の家屋が独特で、多くは江戸時代末期から近代に建てられたとのこと。

鉄板で覆われた茅葺きの寄せ棟造りで、屋根の端には「鳥衾(とりぶすま)」を立て、「寿」「水」などの字が書かれています。「水」は、「火伏せ」といい、建物を火災から守るおまじないのようなものだそうですが、寿もよいことが起こるようになとのおまじないでしょうか?

屋根は三角形と台形を組み合わせた寄棟(よせむね)屋根で、それぞれ、「妻側」「平側」というそうです。「兜造り」と呼ばれる屋根は、切り落としたような形にすることで2階部分の採光と通風を確保できるようにされています。日常生活を行う母屋は南側から採光、通風が得られように東西に長い南向きで建てられ、全ての家屋に平等になるように若干の円弧状に2列にわたり配置されています。

このような工夫は2階部分を養蚕の作業場として利用出来るようにするためで、江戸時代末期頃から養蚕業が盛んになると既存の建物を利用して上記のように改造されています。

日本の棚田100選に選ばれた棚田も有名です。このように標高の高いところにある棚田も珍しいですね。

ここでは、他の米とこう配せずに栽培てきる、紫米を低農業で育てているとのこと。

観光客が中に入れるようにし、一般的な家屋の内部として公開されている、お善鬼の館は、明治時代後期に建てられた降籏家住宅だということ。

一部の棚田で水張りがされていました。

用水は3㎞ほど上流の青鬼上堰と青鬼下堰の2系統で取水しており、どちらも急斜面の岩盤をノミでくり貫く難工事の末に作られたといいます。幕末の頃に4年の歳月と延べ1230人の手により開田したと伝えられています。

厳しい環境における暮らしのなかには、伝統と長く受け継がれ、少しずつ変えられてきた生活が息づいていることでしょう。

生活されている方に、今も残る暮らしについて、食について、自然環境と生活の関連について、お話を伺ってみたいです。

資料

白馬村教育委員会発行 白馬村青鬼 保存のあゆみ

❥協会では、エスノグラフィー研究やフィールドワーク行って来た代表理事らが、いのちを育んできた、つまり、心やからだに広く影響する、各土地の文化や暮らしを聴きとり、資料として保存していきます。ホームページには、そのためのページを創る予定です。是非、インタビュー協力者のかたや、取材先の地域をご紹介下さい