コラム

奄美のネリヤカナヤ

奄美のネリヤカナヤ

今年(令和6年)の4/12は、旧暦の3/3にあたり、奄美大島では伝統的な習わしが多くの海で行われました。
旧暦の三月三日は、奄美大島ではサンガツサンチまたはウナグヌセック(女の節句・桃の節句)と言って、フツィモチ(蓬餅)を作って先祖神様へ献上したり、食したりします。そして、初節句を迎える赤ちゃんを海岸へ連れ出し、足を海へつけて無病息災を祈願する習わしがあります。私が暮らしている集落でも行われました。
奄美大島には、旧暦に行われ神様と繋がるこうした伝統行事が、数多くあります。なぜこんなにも神様と繋がっているのか、それが当たり前のこととして受け入れられているのでしょうか。
海の彼方の世界にさまざまな豊穣や幸いをもたらしてくれる神々の国ネリヤカナヤがあるといわれる。こうした神観念や超自然の力に対するアニミズム的な考え方は、いまも奄美にある。」
「ムンユスイ~魂のふるさとー奄美の素顔」山川さら
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目の前には海があり、すぐ後ろを振り向けば迫りくる山がある— 
それが奄美大島に暮らす人びとにとっての日常。
奄美大島は、面積が712.39k平米(東京23区の合計よりも大きい)、島の北部はどちらかというと平坦でサンゴ礁を伴う美しい砂浜が続きますが、私が暮らす中央部から南西部にかけては険しい山が連なり、最高峰の山は湯湾岳で694.4mと高度は内地に比べると低いものの、海岸線からせり立つように山塊が続きます。海岸線はリアス式海岸がみられ、加計呂麻島との間の大島海峡周辺部に落ち込むような、地形となっています。
このような伝統的な習わしを行うたびに、改めて、日々当たり前のものとしている海や空、雲、そして山々
これら自然の中で生かされていることの有り難さと、自然の畏怖を肌で感じ、人間に不可欠なこれら自然と、自然を創られたものに祈る気持ちが起こります。そのような自然への畏怖と感謝の気持ちを忘れないために、こうした伝統的な習わしが引き継がれてきたのかもしれません。
 
山から海へ
その狭間にわずかに与えられた平地
 
神に護られ
神とともに生きる
 
ときは流れ 
暮らしは移る
 
 変わりゆくもの 
伝えられてゆくもの
 
消えてゆくもの 
それは 
人にゆだねられている
 
先の著書の中の言葉です。
人間は自然・植物や他の動物を管理する者として造られたとも言われますが、そのために、自然や他のどうぶつより優れており、どのように扱ってもよいと考えるのは、人間の奢りであり、誤りではないかと思います。
奄美が世界自然遺産に登録され、移住者が増えてきています。これからも、奄美で生まれ育った人たちと移住者とともに、ネリヤカナヤへと繋がる伝統が受け継がれていって欲しいと願ってやみません。
最後の写真は奄美大島、加計呂麻島、請島にみられる天然記念物のルリカケスです。カラス科で、あまりきれいな鳴き声ではありません・・。推定約700つがいとも。生き物と人間の生活圏の距離が近いところに暮らしていると、自然や動物で満ち足りてしまい、モノはあまり必要なくなるのです― 
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