久しぶりにBOOKSのコーナーを更新です。今日は「猫と生きる」をご紹介。とくに、最近わんちゃん、ねこちゃんを看取り、ペットロスを経験した方や、今真っただ中で本を少し読む気力が少しだけ湧いてきた方に、是非読んでいただけたらと思います
動物と人間はとても身近な存在のようでいて、たとえ家畜や犬猫など(ペット)であっても、やっぱり距離感を大事にして、人間の及ばない自然の摂理を尊重しなければならない、ということを考えさせられる1冊でした。まあ、そんな難しいことを最初に書きましたが、愛犬家として自分のいのちほど大切な愛息犬を3代看取った者として、猫沢さんが同じように猫と親密な関係を築き、看取りの軌跡、その心に起こったり考えたりされたことに共感の嵐で、とても癒されたところです。12月7日に愛息犬孝太を看取った私も、永遠に時を止めた孝太の姿を想いながら、よくぞ言語化してくれました、という気持ちになりました。
終末期どこまで治療をするのか、いかに死を迎えるかについては、私たち一人ひとりが早急に考え、議論を深める必要がある日本です。議論がなされないままに、意識がない・意思疎通ができない人に、いつまでもいつまでも対処療法的治療・延命措置(経管栄養、補液、バルーンカテーテル留置による排尿、摘便や下剤・浣腸による排便コントロールなど)を行う現状。この人は意思を言えなくなったけれど、何を望んだだろう?といつも思います。
一方で、40代独身男性からしばしば、「このまま病気にならないように、健康でいられるように、生活習慣を変えようなどとよく言われるけれど、僕にすれば、なぜそうまでして健康でいたいのか?それでいのちが終わるのであれば、それはそれで何も悔いはないし、こんな楽しみも希望もない日々が延々続くことなんて望んでいない」ということを言われると、「健康って何だろう?」「命って何だろう?」と思うます。
巻末の対談を読むと、動物とのいのちの向き合い方を見つめることで、自分自身のいのちとの向き合い方についても、色々と考えさせられたり、何か自分なりの回答を得られるのではないかと思いましたので、一部ご紹介したいと思います。
「漠然と命だからなんでも救うべきという考え方は短絡的に見えることがあります。(中略)ヒナにはヒナの、人間の倫理感とは違う、野鳥の倫理観があります。親に見捨てられたヒナは飛ぶことを覚えず、短命に終わるという自然淘汰の掟があるんです。それを人間の尺度で「かわいそう」と捉えるのは、ラインを超えた介入になるわけです。すべての生き物が、他者の命を頂きながら生きているという自然の輪の中にいるという自覚はとても大切ですよね。何を食べるべきなのか?という食の問題にもつながることですが。」
「イオ(愛猫のなまえ)を亡くしたとき、某SNSで「猫の死は悼むのに、お肉は食べるんですか?」みたいな書き込みがあったんですけど、それは違うと思いました。人間はもともとマンモスを捕って食べて進化している雑食の生き物ですから。でもそのとき、じゃあ私は何を基準に他者の命を頂くのか?と考えました。その答えが「幸せに生きた命を、できるだけ頂こう」だったんです。多少高く絵も卵なら平飼いのものを選び、お肉なら放牧環境でのびのび飼育されあものを、と。死を見るのではなく、生きた時間そのものにクローズアップしていくべきじゃないかと」

安楽死を選択した話も登場します。私も二代目の愛息犬の時に、真剣に考えたことがありました。その病院ではその選択肢を提案はしてくれませんでしたし、そこではできなかった。パリでは動物の安楽死という倫理観、これについての議論がなされている。人間についてもそうですよね。以前インスタグラムの投稿でも海外の人間の安楽死について紹介したと思います。(2024年6月4日の記事をご覧ください)皆さんはどのように思いますか?犬や猫などのペットの安楽死について、人間の安楽死について
印象的だったのは、愛猫ビキが近所の方の取りを捕獲して殺してしまった時、飼い主さんに謝罪しに行くと、フランス人の飼い主さんからこんなことを言われたといいます。
「どうしてエミ(著者)が謝るの?ビキは猫なんだから、鳥を捕るのは彼女の仕事でしょう?小鳥はかわいそうだったけど、セ・ラ・ヴィね。私に謝る必要なんてないのよ」(セ・ラ・ヴィ=これが人生(だからしかたがない)、次へ行きましょう)
フランス人の価値観。でも、ここに、私たち人間と動物のかかわり方の姿があると思います。
毎日、孝太の代わりにいる愛娘犬を人間のわが子のように、寝食すべてともにしていますが、どこかできちんと。彼ら/彼女らを動物として、人間とは違う世界と倫理観の中で生きていることを尊重しなければならないと思います。犬や猫、生きものと暮らすということは、いのちについて多くを学ぶことができ、日々自分のいのちを大事にする必要や意味を教えてくれるので、本当に意義深いと思います。
職場でやはり愛犬を亡くした方が、新しく犬を迎えようとしていると聞きました。犬がいるということは、私たち人間がこの世界で生きるうえで不可欠だと思うから、だそうです。犬や猫のいのちに日々向き合うことで、自分のいのちとも向き合うことができる。だからこそ、不可欠だと。犬がいると、朝から夜までお世話しなければなりません。病気にもなるし、不調を目にすることもあります。それを世話しようと思うと、自分の基本的な生活もきちんとしていないと、難しいですよね。生きる糧にもなり、励みにもなり、自分の生活もおのずと整ってきます。仕事から帰ってそのまま寝落ちとか、3食ちゃんと食べないとか、土日祝日に家から出ないなんてことは、犬がいるとあり得ませんから(笑) 私の健康をこれまで維持してくれたのは、明らかに3代の愛息犬たちです。
著者の言葉ではありませんが、これは数々の動物を看取ってきた自分にとってもとても嬉しい言葉だったので、ご紹介します。
「私が逝くときは、これまで見送った動物たちがみんなひとつのタクシーに乗り込んで、賑やかに迎えに来るの。それを”天国タクシー”って呼んでてね。そしたら、死ぬのは怖くない。むしろ、ちょっと楽しみだなって思えるの。」(文中紹介された石田ゆり子さんの言葉)
いのちを全うした彼ら/彼女らに顔向けできるように最期を迎えたいですね・・・(*^-^*)


