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「傷の声」齋藤塔子

「傷の声」齋藤塔子

今日の一冊は、「傷の声」。著者は執筆後出版を待たずに逝去されたという・・・。解説で松本先生が「命懸けで書かれた自傷の教科書」と称されているように、当事者である齋藤塔子さんが自身の苦しみを言葉にして、いのちを懸けて著した一冊でした。半日没頭して読んでしまいました。

同じような苦しみを抱える方がもし読まれる場合は、読むことで苦しくなるかもしれないので、十分なサポートのもとで手に取っていただければと思います。無理に読まれる必要はありません。私がここで取り上げるのは、こうした苦しみを抱える方に会う機会がある方、医療や介護・心理等の専門職の方には、是非「最初から必ず最後まで」読まれることを願うからです。

これまで、自傷行為を繰り返す人にたびたび出会って来ましたが、これほどまでの内面は理解できていなかったし、その時々に理解することは難しいと思いました・・。読んでいる間中衝撃を受けました。

こころの痛みがあまりにもひどい時、腕を切って体が痛みを感じてくれると、そちらに意識が向いてこころの痛みを一時でも忘れさせてくれるのだ  P34

拘束は、羞恥心と共に患者を内側から無力化していく。(中略)どんなに強い怒りを感じていても行動に表せば、拘束が追加されるかもしれない。相手が植えつける苦しみを、相手が植えつける恐怖によって抑え込まされる経験は、暴力を振るわれて黙らされているのと何ら変わらなかった(精神科病棟で自傷他害の恐れありとして高速具をつけられた体験について)P16

「好き」は怖い。人に本気の「好き」を言ってしまえば、支配と服従の関係が待っているのではないかと危険を感じる。「愛してる」はわからない。「愛してる」には暴力がつきものなのだろうか。本当に「好き」とか「思いやり」とかいう温かな感情だけでできた愛なんてあるのだろうか。(両親の関係性や両親から受けた「暴力」を背景に)P206

自分の死生観を絵にしたもの(P76) 神様が重たくてたまらない重石を天から落とす。それに潰されそうになりながら背負って歩き、死ぬとようやく解放されるというもの。「「生まれてきて良かった」と思うことはこの先もないと思う」

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彼女は一旦病院で看護師としてスタートしようとしましたが、非常に厳しい人間関係(威圧感、厳しい叱りなど)や、患者さんを自分が拘束し「絶対に加担したくないものに加担してしまった」こと、不規則な生活リズムなどが、彼女に追い打ちをかけたといいます。

何もやらかさないのを見て「最近調子いいね」と言われるたび、世界とのあいだにあるガラスは厚くなる。生きるための手段は抑えこまれている。周りの人に何かを伝えることにも無力さを感じる。ふいに明日死ぬかもしれないし、このまま年を重ねるのかもしれない。どちらにしろ、やっぱり私は何かが欠けている。(P24)

両親それぞれが抱える問題・・・ケアしてあげてしまい苦しみが増強する。支配と服従、爆発、不機嫌な親。安全ではない家庭。

実母、実兄との対話がナラティブで書かれており、それを読むと、家族成員それぞれが全く異なる視点で物事を考えてとらえていることに、読み手のこちらも衝撃を受ける。兄と自分の認識の違いに衝撃を受けた著者が、さらに大きく揺さぶられ、不安定になったのだろうと予想する。そして、きっと、人間というのは、いつも一緒にいても、どんなに親密であっても、どこまでも共通理解や共通認識ができるというものではないのだろうなと思う。

私が大事にしてほしかったことは、自分なりの物語を持った人間として認識してもらうこと、その物語について通じ合う言葉で誰かと話し合うことだった。例えば、育ってきた環境、それによって染みついた考え方、今現在感じ取っている世界、自傷に至るまでのトリガーの数々。こういった断片化した物語の存在を認識し、共に考え編み直す必要がある。ところが、そこに取り組んでくれる支援者やコミュニティに出会う機会は未だ少ない。P23 

地域保健の現場でも自傷を繰り返す相談者がいるけれど、丁寧に関わりを持つ「余裕」がない・・・相手のエネルギーに向き合う力がない・・・時間もない・・・理解も足りない。私たちはナラティブ(その人の物語)を大切にしなければと思いながらも、それを引き出す力が不足していたり、力を出し惜しみしているかもしれない。

読んでいて救われたのは、何人か登場する、彼女が安心を得られた「人」たちの存在。

そして、そんな「人」に自分はまだまだなれていないと思う。 彼女の、著者のご冥福を心からお祈りしつつ・・。

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