冬至をすぎ、これから少しずつ夜の時間が短くなってきますね。今年はどのような1年でしたか?昨年9月にも紹介したロシア文学研究者の奈倉さんのエッセイ本を紹介したいと思います。
ロシアに留学し長くロシアで暮らし、ロシア文学を研究してきた著者が、文学者として、戦争を行うことの愚かさを、戦争の本質的な悪をいかに訴えることができるか思考し、言語化した試みでもあると感じられました。その決意が現れている一文・・・
「ただ人間はあきれるほど忘れっぽく、目新しいことを言っていると思い込んでいる人間に限って過去の過ちを繰り返すというだけのことだ。けれどもそうして戦争がおこなわれるというのなら、文学は何度でも考え直し、示してみせよう。それは憎しみの連鎖を止めるための、人類の大切な共有財産だ。戦争の本質的な悪を、身勝手な権力の構造を、そこから生まれる社会の不安やアンリ社会の息苦しさを、無念な市民の思いを、恐れずに語り続けよう。」(p75)
今年も地球上で多くのいのちが失われました。
戦争の本質は(何も戦争に限らず)権力者の思い上がり。
自分は正しくて相手は無知である、相手は正しくないとし、「人の悲しみを煽ったうえで、敵への憎しみに転化させ、憎み殺す負の連鎖を生む」構造は変わらないという。
本書ではロシアやウクライナの友人の状況も交えて、ロシアの現在から過去の歴史を往来し、詩を引用しながら、一貫して、戦争の愚かさについて訴えかけています。ロシアといっても、ロシア語圏は広く、中央アジアや黒海周辺国にも、祖先をロシアに持つ人が多く、日本のような小さな島国とは、人びとの「国」「民族」の概念は全く違うと思います。そのような国間で戦争が行われるということの、人びとにとっての意味・・。
本書が反戦のエッセイと誤解されては困るので、「渡り鳥のうた」という部分を紹介したいと思います。渡り鳥をシベリアから見たらどんな感じがするか?秋、温かい土地を求めて南へ去っていく渡り鳥。彼らが飛んでいく先ー日本では、北から越冬するために飛来する「冬鳥」としてしばしば詩に詠まれる。春にはロシアに戻ってくる鳥たちがまた詩に詠まれているという。
こんな風に、便宜的に創られた「国」を、地球の自転ー季節の移り変わりに応じて、自由に往来する「渡り鳥たち」。なんとも、こころが晴ればれしませんか?
「こんなふうに続けて渡り鳥の詩を読んでいると、まるで鳥たちを介して詩人同志が語りあっているように思えてこないだろうか。ほら、目の見えないアサードフ(エドゥアルド・アサードフ/現トルクメニスタン生まれのアルメニア系詩人)が心に思い描いた鳥たちがアムール川を飛び立ち飛騨山脈に到来し、その鳥たちを愛でた白秋が春先に耀く雪とともに惜しみつつ見送り、ふたたびロシアに戻る鳥をザボロツキー(ニコライ・ザボロツキー)がいまかいまかと待ち望んでいる」

人間はおろかなもので、戦争を繰り返す。戦争は遠い国のことと思うかもしれないですが、「社会で生きる自分もまたどこかでその構造に関与してしまっている現実」があります。それは、「武器の輸出や産業との結びつき」 に留まらず、人間が持つ、自分は絶対的に正しいとして、自分と異なる人間や自分に不都合な人間を排斥しようとする性質。そのために集団心理を利用する(情報操作-身近なことで言えば、噂をたてる、陰口、SNS投稿・・・)といった、人間の集団社会に共有されるものや、それにより引き起こされる対立構造や誰かを孤立させていく/排他していく構造もまた、同じではないかと思います。
メカニズムを考えるとき、戦争は他人事ではないこと、社会の構造が起こすのだということについて、考えさせられます。
著者は柏崎に移住されたといいます。そこで、原発立地地域の住民になることで、自分事として原発の問題についても考えて行こうという試み。その話は少し触れられるにとどまり、また別の機会に語られることを期待して。


