連日の猛暑ですが、皆さま体調を崩されていませんか?今日は久しぶりに本のご紹介。その名も「知らんがな」。
私も関西人なので、「知らんけど」や「知らんがな」はとても馴染み深い言葉。今でも、時々「知らんがな」とぼやいたりします。関西人以外の方にはこれらの違いがわからないかも知れませんね(;'∀')
さて、どんな時に使っているか?とりあえず言ったけど情報の信頼性は曖昧で、よく知らないから責任持てないようなときに、語尾に「知らんけど」と追加して使ったりします。あまり関心もないので、信ぴょう性を調べようとも思わないわけですね。本当にどうでもいい、関心ない時は、「知らんがな」と単独で使うように思います。
調べてみましたが(エビデンスレベルは不明)、「知らんがな」には、「自分には関係ない」 「面倒くさそうなので巻き込むな」 というニュアンスが込められているそうです。会話の中で「知らんがな」と言って通るのは、関西圏(大阪限定?)だけかもしれません。全く異なる文化圏の長野で言うと、腹を立てられてしまうかもしれませんね・・。
この本では、曖昧さを身につけるために、「知らんがな」とつぶやくことの有効性を述べておられます。
つらいことがあっても「知らんがな」とつぶやきながら、通ってきた過去を手放し、現在を自分で決めて、やってくる未来にわくわくしていればもっと楽に生きられる
これからの時代はとりわけ、何がどうなるかわからない、何が正しくて間違っているかわからない多様性と未知の時代。
これまで、「数字やエビデンス、ファクトを偏重しがち」で(数字やエビデンスも時に操作可能です)、唯一絶対の、必ず最適な回答があると思いこませるような時代でした。この、「これが正しい」 「ゼロかイチか」 「こうでなければならない」 などの思い込みは、柔軟に・あいまいに物事を考えたり、捉えることを難しくしてしまうのではないかと思います。そしてそれが、人の精神、こころを追い詰めたり、自己肯定感を下げたりしているのではないでしょうか。
この本では、あいまいさは人間を不安にもさせるとして、「あいまいさ耐性」をもつことが大切と言っています。
自分にとってどうしようもないことについては、「知らんがな」と言って距離を置くこと。人間はそもそもあいまいで、感情の揺らぎに左右されています。そのため、「知らんがな」といってこころをゆるめ、自分を肯定して、今ここから少しずつ行動していくこと
これを推奨しています。
誰にでもつらい経験や人生のネガティブな記憶がありますが、そこにベクトルを向けずに、未来に目を向ける。何らかの子ども時代からのつらい経験などによって生まれた 「とらわれ」は、人のパーソナリティに大きな影響を与えていて、それを否定せずに「起伏に満ちたプロセスを歩んだ証」として肯定してあげるー
とらわれによって苦しくなったら、「知らんがな」と言って距離を置く。
向き合い過ぎず、もやもやする状態のまま受け流す。よいかもしれませんね!



