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「BLANK PAGE」内田也哉子

「BLANK PAGE」内田也哉子

<Books>も久しぶりの更新となりました。今日は、少し話題になった本をとりあげてみました。

彼女の感性や表現の独特さは、偶に見かける語り口や文章から感じられます。本書は対談集のようなものなので、対談相手の発した言葉が印象に残ったり、対談の事後所感にハッとさせられたりします。両親を同じ年に立て続けに失うことで、『心と体にぽっかりとできた空白』・・・いつもいた家族を立て続けに失うことで生まれる、そこはかとない空虚感。心と体の内側にできた空白というものを、どう扱えばよいのか。能登半島地震でも、多くの方がその空白に伴う苦しみに、今、必死に耐えておられることを思うと心配です。

内田也哉子さんの場合、その空白を満たすために、全く異なる人たちに会い話をしたいと思ったーーーー

インタビューイー16人の方々は、それぞれ全く異なる人たち。対談の内容については、実際に読んで感じてみて頂ければと思います。対談のなかで、たびたび樹木希林さんと内田裕也さんの姿が登場し、内田也哉子さんが対談とその結果を書く作業を通して、空白を認識しなおし、両親との関係やエピソードに対して意味づけをし直し、自分を癒していっていったことが感じられます。本書の最後は、このように締めくくられていました。

『空っぽは、彼らが最後の、そして、最良の置き土産として遺していってくれたのかもしれない。ずっと彼らの存在で埋まっていた自分が、ようやくひとりで再出発するための身軽さだった。空っぽを満たす旅に出たけれど、むしろブランクをもつことの豊潤さを、人と出会う度に教えてもらった。今一度、大切なものを失った淋しさと、そもそもの出会えた幸せをじっと見つめ、そっと寝かせてみる。急ぐことなく、嵐のあとの閑寂に耳を澄ますように』

私は母親を24歳の時にがんで亡くし、親を亡くしてはじめて独り立ちできる(させられる)と思ったのを覚えています。その時、そこはかとない空白に、どのように対処できたのかと思います。ブランクが埋まることはなく、常に内包されていて、紹介されていた谷川俊太郎さんの詩「まいにち」の一節に、どこかその状態を見る思いがしました。

『(中略)カレンダーにはまいにちが すうじになってならんでるけれど まいにちはまいにちおなじじゃない ハハがしんでチチがひとりでないてたひ そのひはどこへもいっていない いつまでもきょうだ あすがきてもあさってがきても』(谷川俊太郎バウムクーヘン,2018)

時折 『ブラックホール』が来て、心が『カオス状態』になることに、何らかの方法で対処していたという内田也哉子さんと樹木希林さん。自分にもある、あるとうなづく方も多くいらっしゃると思います。内田也哉子さんは、谷川俊太郎さんが『デタッチメント/ひとが人物、事柄、価値観などへの愛着から解き放たれ、それによって高い視点を獲得すること』持っていたと分析されていました。そのようなデタッチメントを身に着けられれば、随分こころも楽になり、『ブラックホール』も来ないのだろうな。そんな人があふれる社会になるといいな。

そんなことも思いました。機会があれば、ご一読ください。