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いのちと放射能

いのちと放射能

先日、福島第一原子力発電所のALPS処理水の海洋放出が開始されましたね・・。

海は地球上でぐるっとつながっています。東日本大震災の後、津波でさらわれた家屋などの廃材が遠くアメリカ西海岸に漂流したことも鮮明に記憶にあります。

この青い美しい海(写真は8/26の奄美大島の海です。この展望台からも、季節によってザトウクジラを見ることができます)に、人間がいろいろなものを流してしまっている・・・。放射性物質に限らず。生き物たちはそれを有無を言わさず取り入れさせられている。そして私たちはそのいのちを頂いている。

賛否両論色々あると思います。もっとも残念だったことは、やはり十分な対話やリスクコミュニケーションがなされず、最後は強引な印象を受けた点です。中国など諸外国の反応は最もなことだと感じました。議論は決着がつかないであろうこと、反対派の賛成を待っていられないこと・・・でも、対話は大切です。日ごろから、政府の対応が民主主義とほど遠いと感じることが続き、国民感情も不信感がベースにある中、このようなプロセスを経た海洋放出によって、ますます国内外における日本国家への不信が高まるのではないかと懸念されます。

62種類の放射性物質のうち、ALPSで規制基準値未満まで浄化処理しきれず、海に放出される水に含まれるものとして、「トリチウム」だけではありません。それ以外にも水の7割に規制基準値以上の放射性物質が残っていると説明されています(経産省ホームページ参照)。

「大量の海水(100倍以上)で薄めることで、海水に含まれる放射性物質としての濃度は下げられ、規制基準値をはるかに下回る」

薄めて放出すれば、海洋生物に影響はないといえるのか。

この問いに、丁寧かつ理解可能な説明を国内外で行った上で、放出実行に至っていないために、非難や反対の声や不買運動のようなことが起こってしまっているのでしょう。モニタリングがなされ、市場に出回る魚などの放射線量は徹底的に管理され、公表するという努力がまたなされることでしょうが、結局事前の手続きが不十分なために、現場で働く人々に過剰な労力を強いられるように思えます。

個人的には引き続き魚を食べていきたいと思っていますが、不安を抱く人たちがいるのも、おかしいことではないと思います。究極、本当の本当に未来永劫問題は生じないのか?という問いには、回答できないからです。この先は、自然放射線や、医療放射線による被ばく同様に、リスクをどこまで選択するか、しないかということ。個人が適切な情報と知識を得て、選択していく他ありません。

「トリチウム」については、外部被ばくの影響は「ほとんどない」としたうえで、内部被ばくについても以下のように説明されています。曖昧さが残りますが、これが放射性物質を扱う限界なのでしょう。

放射線はDNAに損傷を与えますが、細胞にはそれを修復する仕組みが備わっています。紫外線などもDNAに損傷を与えますが、大半はすぐに修復されます。放射線による損傷がわずかであれば、これらと変わりません。トリチウムは大部分が水の状態で存在し、水と同じように排出され、体内で蓄積・濃縮されないことが確認されています。体内に入ったトリチウムは10日程度で半分が体外に排出されます。タンパク質などの有機物に結合して体内に取り込まれたトリチウム(有機結合型トリチウム)でも、多くは40日程度で体外に排出されます(一部は排出されるまで1年程度かかります)。

私はここで、この本を思い出しました。 ー「いのちと放射能(柳澤桂子)」(ちくま文庫)

著者は、内部被ばくによる健康影響は現在確認されていないだけで、絶対問題は発生しない、ということは人間の知恵をもって言い切ることはできない。その怖さが原子力なのだと強調しています。

また、この本では、原子力を用いなければならないほどのエネルギーが私たちの生活に本当に必要なのか?と、私たちの生活のあり方に訴えかけています。実際は、

「快楽と欲望を満たすために、底なし沼のようにエネルギーを消費してしまっている。あるいは、一部の人の利益のために」

この本が最初に発行されたのは、1998年。この時著者は、原子力をどうこうできると考えるのは人間のおごりであり、実のところ、人間の知恵では(原子力は)持てあますとし、原子力の利用に対して警鐘を鳴らしていました。

チェルノブイリ、福島・・そして他にも臨界事故が日本でも起こってきたことからも、福島がたまたま運が悪かったのではないのです。

「(チェルノブイリの事故を教訓に)肩書は人間を弱くし、不自由にするもののようです。また、人間はものごとの全体を見る能力が劣っているように思えます。ものごとのひとつの側面にのみ目がいきがちです(中略)安易に原子力に頼るかぎり、よい知恵は浮かばないでしょう」

 

高温続きの今年の夏。電気代の高騰、ガソリン代の高騰・・。今のようなエネルギー使用の限界は明らかなようです。

過重負担を課す現行の税制も後押しして、国民の健康や生活をまもることができなくなってきています。だから原子力発電所を稼働させるのだ、とか、だから税負担を増やすのだ、ではなく、生活のしかたから行政活動のありかたまで、根底から見直す必要が求められていると思います。福島の処理水の放出の問題は、他の様々な問題と抱き合わせて考えていく必要があるのではないでしょうか・・。

この本(2007年文庫版刊)のあとがきで、このような記述があります。

「私たちが最も知りたいのは、(中略)生命への影響についてどこまでがわかっており、どこまでがわかっていないのか、なぜ微量だと安全といえるのか、微量なら本当に危険はないのか、プルトニウムや要素、トリチウムなど、放射能の種類によって生命への作用の違いはないのか、子孫への影響はどうなっているのか・・。そこまで説明して安全性を示してくれる人はいません。いつも紋切り型の「専門家が安全と言っているから安全」という論調です。(中略)」

20230827 inochitohousyanou book 2

残念なことに、変わらない・・・。

参考)関心を向けることの大切さ

https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/

https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps.html

https://www.fepc.or.jp/enelog/common/pdf/vol_47.pdf

関連書籍の一部 

ー正しく知ることで適切に恐れ、必要に応じて現存被ばく状況下で残存放射性物質と共存するために

20230827 housyasenn books