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「歌わないキビタキ」梨木果歩

「歌わないキビタキ」梨木果歩

梨木果歩さんのエッセイを読まれたことはあるでしょうか。自然-どうぶつ、植物に関する緻密な観察、文献などから得た豊かな知識、静謐な文章がほとばしっていて、癒されながらも、知識を得られる独特な世界が広がっています。

 八ヶ岳に小屋を建て暮らすなかで、社会のこと、自然に目を向けて感じたことや考えたこと、見たことを書き綴っています、樹木から菌類にわたるさまざまな植物や鳥、アオダイショウからカモシカにいたるまで、四季折々の変化や文化的なあれこれとともに著され、帯に記載があるように、まさに「深く五感に響き渡る文章世界」。植物や動物に向けるまなざしが優しく、読んでいて心地よくなります。「カエルもヘビも、鳥も獣も人間も、個々の事情を抱えて道を歩んでいる」 ーそんな風に、人間が地球上の他の生物や資源を(そして同じ人間をも・・・)自己中心に搾取せず、相手の事情を考える生物であることができれば、今起こっている様々な問題はもう少しマシだっただろうか。 最近はエッセイ本がたくさん出版されていますが、梨木さんのエッセイは文学的ですらあると感じます。人間についての思索もまた、共感を覚え、感銘を受けるものがあります。ほんのいくつか、印象的な部分をご紹介したいと思います。

「まだ薄氷であったけれど、その上に落ちた、強風で飛んできた枝や誰かが投げ込んだ石などが、まぎれもなく冬の長い影氷上に落とした姿で乗っている、その程度には厚い氷。これが初冬。(そしていよいよ厳冬ともなると、池の表面は雪原となり、池であることもわからなくなり、動物たちの足跡が、ただ延々と付くばかり)「春夏に蓄えていたエネルギー」はついに解体され、その養分の、静かな消費の日々に入ったのだ。」(P151-152)

「ロシアとウクライナが戦い合っている同じ場所、違う次元で非日常が日常を駆逐しようとしている。けれど何千年もの日常の蓄積が、そう簡単に殲滅(せんめつ)されるわけがない。必ずひとを、支えるときがくると、唱えるように強く思う。」(P192)

ついつい、登場する鳥や動物の鳴き声を、Youtubeで聴いたりなんかして。ーアカショウビン、ソウシチョウ、クロツグミ、ウツギ、アカゲラ、コガラ、ゴジュウカラ秋発情期の雄鹿の悲しげな鳴き声(⇒「奥山に もみじふみわけなくしかの 声聞くときぞ 秋はかなしき」)

梨木さんが、八ヶ岳の小屋に侵入したヒメネズミを傷つけないように捕獲して、冬でも寒さをしのげて、食べ物を得られそうな場所を聞いて、そこにそっと放してあげるくだりは、気持ちがほっくりする。そしてまた、ヒメネズミの小屋のなかでの様子の描写も・・・。

「少し寒くなったので、畳の部屋に置いていた、もう三十年近く愛用しているノルウェーの手編みのカーディガンを何気なく取ろうとした。すると、ひまわりの種がバラバラっと、片手で一掬いはありそうな量、辺りに落ちて散らばった。貯蓄していたのだ。このカーディガンを冬籠りの巣にするつもりだったのか。」(p160)

動物や鳥たちの描写がいつもとても細やかで、情景がありありと浮かび、愛おしさが伝わってくるのが、梨木さんのエッセイのよいところです。こうした本を読むと、本は五感に働きかけて、私たちに知識や豊かな感情を育んでくれると感じさせてくれます。他にもお薦めは、「渡りの足跡」あたりでしょうか。八ヶ岳に暮らす日々を綴る「炉辺の風おと」や、エストニアを旅した時のことを書いた「エストニア紀行」なども。ただやはり、梨木さんも昨今の戦争と侵攻された土地に暮らす人びととその暮らしに思いを馳せて、「実際にその土地を歩いて、そこで暮らしている人びとに出会うという経験は重要だ」と書いているように、本の世界だけに依存し、過度に信頼するのはよくない。SNSで知ったかぶりするのではなく、「書を捨てて出る」ことはとても大切だと思います。たっぷりと国内外を旅ができた時代から、また旅をしづらくなってしまいましたが・・・(経済/円安、物価高、治安、情勢不安などから)。

 よろしければ、ヒメネズミの動画を検索してみてください♪