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「旅をひとさじ」松本智秋

「旅をひとさじ」松本智秋

前回このコーナーで紹介した「憶えている」の作者である、岡田氏の”ひとり出版社”が刊行し、「憶えている」でも紹介された本です。今は亡き松本氏に思いを馳せながら手に取りました。少しご紹介したいと思います。

1つ目のテーマ: 「ラーハ」(労働、遊ぶ、この二つの時間に収まらない第3の時間

「イスラムの日常生活に流れる第3の時間。学ぶ、旅をする、ゆっくりお茶を飲む、家族や友人とおしゃべりする、ぼーっとする、詩を書く・・・そんなふうな時間。(中略)がんばって働いたご褒美や対価として与えられる時間ではなく、人が生きるうえでもっとも大切な時間であるとされています」

東京に居を構えていた15年余のうち、13年間は睡眠時間は平均4-5時間。情報や刺激が常に氾濫し、仕事は終えることがなく、少しでも時間があれば新しい情報を得たり、データの分析や資料作成、論文を書いていました。東京にいると仕事から離れられないので、年に複数回旅に出ていました。旅に出て3-4日するとようやく、ゆったりした気持ちになることができるのだけれど、日本にいると怠けている気持ちになってしまうので、国外に出て、誰も自分を知らない土地を歩き、ぼーっとする。これが自分にとっての「ラーハ」でした。わざわざ、日本を脱出しなければならないという・・・。二拠点生活が始まり、長野県に暮らすようになって、「ラーハ」を持ちやすくなりました。日本で誰もが「ラーハ」を持てるための要件とは何だろう?と考えました。情報や刺激から物理的に離れられる環境・・ゆったりできる空間(自然に近いものほどよい)・・仕事の調整ができる組織文化や業態・・・

もし日常のなかで「ラーハ」を持つことができたら?

日本社会は常に何かゆとりがなく、ひとり1人が自分のこころとからだが欲するままにものごとを行ったり、休止してみたり、遠回りしてみたりすることがよくないことであるような雰囲気があると感じます。皆が休まず働いているから、皆が途中で学びなおしをするために退社することもなく、60歳・65歳まで働き続けているから、皆がこうしているから、別の行動をとるとあたかも「異質」で「協調性がなく」時には「怠け者」とされてしまう不寛容で画一的な社会になっていると感じます。

もし、日常生活で「ラーハ」を誰もが自分の必要に応じて取ることができれば?

ストレスも軽減して、精神的な病にかかる人は減り、幸せと感じる人の割合も高くなるのではないか。そんな風に思います。

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2つ目のテーマ:人びとの日常

著者はこの本のなかで、旅したイスラム教の国や地域での体験、思ったことや感じたことを写真を添えて書いています。

14年ぶりの2018年にシリアを旅した著者は、内戦で破壊され瓦礫だらけになったアレッポの街を歩きます。そこでも、人びとの日常が見られます。ごはんを食べる。美味しいものを食べる。一方で焼け焦げた一角は人気がなく、色も音も乏しい。

「ここで暮らしていた会ってもいない人たちの、確かにここにあっただろう幾多の人生を想う。もし自分だったら?と想像してみるけれど、わからない。過酷すぎてわからない。ただ、建物だけではなく、目には見えないたくさんのことも破壊されたのだと思うと、あまりの理不尽さに血がぼこぼこと沸騰するようなカッとする怒りと、悔しさがこみ上げる。革命が起きた頃に、自分はなにかできることはあったのかと考えてみるけれど、よくわからない。わからにことばかりで途方に暮れる」

日本を出て他の国を歩くと、この時、この瞬間に、自分が暮らす地から遠く離れた地でも、同じような営みが行われているのだということを見て、異なる人びとの生活や文化を知ります。そうして帰った時に、「今ごろ、かの地で、あの人たちは…」と思いを巡らします。このことは、自分をとても落ち着かせてくれます。地球上で繰り返される暮らし。その普遍性を想うとき、気持ちが安らぐのです。

一方で、そうした人びとの何気ない日常が、力の強い・・権力を持つ一握りの人たちと・・集団心理が働くなどして破壊されることが、人間社会では延々と繰り返されて来て、あの人たちはどうなってしまったのだろうと、無力感を覚えることもあります。

旅の部分部分を切り取った本ですが、旅をすることによって自分の知らない世界を知り、人と触れ合うことでリアルを共有し、想像力をより一層豊かなものにしてくれるということをすら、思わせてくれました。

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著者の松本さんも、今はこの地上の世界にはいない・・・という事実が、読んだ後、静かに目の前に横たわります・・・。

是非一度手に取ってごらんください。

(ご冥福を心よりお祈り申し上げます。岡田さん、松本さん、お目にかかってお話してみたかった・・)