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「憶えている」岡田林太郎

「憶えている」岡田林太郎

今日は、「憶えている」岡田林太郎著を紹介したいと思います。メディアにも取り上げられたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。2018年にひとりで出版社を立ち上げた著者が、末期がんの告知を受けた2021年~2023年にかけて、2018年以降blog記事に書いてきたことを振り返りつつ、2021年~2023年6月までの日々を記述されています。

読者は読み進めるなかで、病がわかるまでの2019年~2021年までの「日常」と、2021年に腸閉塞を発症し、手術の過程でスキルス胃がんステージ4とわかってから、2023年6月筆を置かれるまでの「日常」との圧倒的な違い、そしてこの間の彼のこころの琴線に触れ、人間の人生とは何か?ということを否応なく考えさせられます。ある日突然、末期がんを告知される。誰にでも起こり得ること。頭ではわかっている。でも、私たちは何ということのない日々がずっと続くかと思って過ごしている・・。失って初めて実感する。でも、人間は「忘却」することもできるため、省みて感謝しても、また同じことを繰り返す・・・・

2019年から2023年までといえば、ついこないだのこと。岡田さんの生きた日々を読み終えた時、本を通してしか知らない人なのだけれど、彼の人生、彼の歴史の一部を知り、もうこの世にいないという現実に、近親者を失った時のような、喪失感をも感じます。2023年7月に逝去された・・・一人ひとりの人間には歴史があり、それはかけがえのないものです。

「僕たちは考えようによっては長く、でも実際にはごく短いそれぞれの人生を生きる。そして短いとはいえ、そこには常に歴史の蓄積がある。それは私的であると同時に、史的なものだ」

人間は弱く身勝手な存在なので、自分の都合で他人の人生を軽んじることが度々あります。自分に対する奢り・・想像力の欠如(麻痺)。少し前に映画「オッペンハイマー」を観ました。人間の愚かさに吐き気がしました。広島で行われた先行試写会で、若い方がこのような感想を述べられていました。「自分を飾り立てることが、いろんな人につらい影響を与えてしまうことを、人間はなぜ考えられないのか」。 日常のなかでも、他者を軽んじる暴力が繰り返されています。ハラスメントなどもそうですし、いじめもそうです。

楽しい、嬉しいことばかりではない、苦しみや悩みや怒りのほうが多いかも知れない人生。できれば、怒りや苦しみではなく、愛をエネルギーに変えて生きていけたらと思います。ですが、彼はこのように語ります。

「(大人になると)ちゃんと笑って、でも強く怒って、きちんと喜んで、でもしっかり悲しむことができる人に敬意を抱くようになるもんです。願わくば、喜びも怒りも、楽しみも苦しみも、あらゆる感情を十全に感じられますよう。素敵な大人とは、きっとそういう人のことです。」

「生きているとは、あらゆる感情を十全に感じるということである」

特に日本の社会では、怒りや悩みや苦しみは内に込め、それをできるだけ感じていないかのようにすることが美徳とされます。表出することは幼いことであり、抱くことは至らないこと。忍耐強くあることが、大人である・・・。だから、苦しみや痛みは意識しないようにする。誰にも見せないようにする。それはものすごく自分自身を傷つける。免疫機能も低下させる。その傷は誰にもケアされず、深く、深く刻み込まれるーーーーだから、怒ってもいい。泣いてもいい。私もそう思います。人それぞれの人生がある。一人ひとりを尊重できる社会にしていくためには、まず身近なところから始めなければ変わらない。

本書に、同じスキルス胃がんで30代で逝去された松本智秋さんのことが度々登場します。松本さんの著書にある、アラビア語の「ラーハ」(労働と遊ぶのふたつの時間に収まらない第3の時間)について紹介しています。日本人が一番苦手なことかもしれません。いつも何かに追われて、ねばならない日々を過ごすのではなく、「くつろぐ・気持ちよく過ごす」という時間を持たれていますか?!ということだそうです。病になって初めてそのような時間を持つことの大切さに気付くという人も多いかも知れません・・。(彼女の著書、「旅をひとさじ」とともに、また紹介したいと思います)

この本を通して、自分に残された時間もあとどれほどかわからない中で、最後に一体何を思うだろう。そんなことを考えさせられます。毎日死について考え、苦痛と向き合うことの準備はできているか。この先そう長くはない(人生は短い)。だから、互いに大事にしあえる人と共に夢を実現していきたいと、力をもらう思いがしました。

「我々は、生きている限りは何度でも立ち上がらなくてはならない。死は避けがたくやってくるけれど、それまでは生きているのだから」

「私たちは、いつかは死ぬ存在です。私たちの人生は有限です。私たちの時間は限られています。私たちの可能性は制約されています。こういう事実のおかげで、そしてこういう事実だけのおかげで、そもそも、なにかをやってみようと思ったり、なにかの可能性を生かしたり実現したり、成就したり、時間を生かしたり充実させたりする意味があると思われるのです。死とは、そういったことをするように強いるものなのです。ですから、私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです」

一人ひとりの人生の歴史を、語りを通して聴く・こうして書を読むということは、私たちの人生をも豊かにしてくれると思います。是非ご一読ください。

(2023年7月に逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)