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Self Compassion

Self Compassion

今日は、「セルフコンパッション」のご紹介をしたいと思います。詳細は今後も取り上げていきたいと思います(会員ページでの情報提供を含む)。

 行政機関に所属する保健師さんたちへの研修やコンサルテーションを10年にわたり行わせていただくなかで、公務員として常に住民のためを思い、真面目にその使命を果たそうとする人たちがほとんどであると思ってきました。公務員ということで、病院とは異なり契約関係にない住民も対象に、援助やケアを行うことができる点で、看護職のなかでも特異性があります。たびたび、怒鳴られることもあり、拒否されることも多々あり、身の危険を感じそうになることもあり。新型コロナウィルスの感染が始まったころ、都内や長野県内の保健所等で電話対応や積極的疫学調査のお手伝いをしたことがあります。不安を抱えた住民からはたびたび罵声が飛んでいました。一緒に支援に入っていた、行政機関における保健師経験のない看護職の人や、公務員でも普段保健所等で勤務されていない事務職の人たちが、その罵声に疲弊して、「もう手伝うのはやめる」というようなときに、行政保健師がいかに「慣らされて」来たかを知りました。保健師も人間ですから、倫理的には問題があります。保健師の尊厳は守られていない。住民が保健師の人格を傷つけてもなお、保健師は平静を装い、穏やかな口調で電話や面接、訪問の場で応対しなければなりません。

そのような経験を積み重ねていることもあるのか、保健師の「セルフ・コンパッション」が低いなあと感じることが、しばしばあります。

「セルフ・コンパッション」の構成要素3つのうち2つは、「自分に優しくすること」「人間としての共通性を認識すること」とされています。(K.Neff,2011)どんな人間も、欠点や弱点が必ずあり、失敗もします。それが人間としての共通性です。ですが、人間は自信がないために他者より自分が優れているとか、自分は間違っていないと考えようとして、他者のせいにしたり、他者を排除して自分を優劣の上位に置こうとしたり、様々なことをします。そういった相手から、「自分は失敗も問題もない、問題があるのはきみだ」という対応をされたりでもすると、「私はそのような扱いをされてしかるべき人間なのだろうか?私だけに問題があるのだろうか?こんなことをされるのだから、やはり自分に問題があるのだろうか?」と思わされ、しまいには「私は思いやりを受ける価値がない人間だ」などと考えさせられてしまいがちです。優位に立とうとする人は、しばしば、自分に問題があることを見て見ぬふりをして、他者に一方的な責任を押し付けようとします。そのようなことがまかり通る組織は、崩壊していきます。次々と離職者が出る問題の組織では、こういったことが平然と行われているのを目にしてきました。私もこれまで、そのような組織や部署に出くわして来ましたが、自分が無力感にさいなまれ、自己価値を下げられていくことで恐ろしいのは、本当に病気にされてしまうことです。ストレスと病気の関連については、少しずつまた別途お話をしたいと思います。

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ところで、行政機関機関で働く保健師さんたちは、住民と対等な人間であるのですが、行政機関に所属し行政活動に従事するため権力も有します。ですから、なかなか住民と対等な関係を築くことが難しいのも事実です。そのようななかで、このような生きづらい格差社会では、住民のフラストレーションや怒りがしばしば保健師に向くことがあり、保健師は「行政に問題がある」と叱責されることに慣らされると同時に、自分も住民と同様に、「思いやりを受ける価値がある」ということを忘れさせられてしまうのかもしれません。DVを受けているような人たちのセルフ・コンパッションも同様に低いのではないかと思います。

なかなか周囲を変えることはできません。自分で自分に優しくすること。思いやること。そして、同時に、自分だけではなく、このような失敗や問題(がたとえあったとしても)は、誰もが起こし得ることだ、ととらえ、自分をあまり特別視して責め立てないということです。もう1つの構成要素は「マインドフルネス」ですが、これについては、またの機会に。

自分のセルフ・コンパッションを測定することができます。

英語版ですが、ぜひやってみてください♪

httpps://self-compassion.org/self-compassion-test/

写真はコロナ前に訪れた道東、涙岬展望台付近にて